ルノワール

田舎の踊り

c0212929_2330157.jpg

1883年  Oil on canvas  180 x 90 cm  
オルセー美術館

■ ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Augustê Renoir
1841-1919 | フランス | 印象派


印象派の中でも特に名が知られた同派を代表する巨匠。
しばしば女性的と直喩される流動的かつ奔放な筆勢や、明瞭で多様な色彩、
豊潤で官能的な裸婦の表現、揺らめく木漏れ日による人物や風景への効果を研究した
斑点状の描写など特徴的な表現で数多くの作品を制作。
ルノワールは労働者階級の生まれである為、
社会的な向上心が強かったと推測されており、パトロンや愛好家の獲得に長け、
彼らの好みや意向に沿い自身の様式的特色を残しながらも巧みに合わせていったが、
根本は田舎的で素朴な姿容や風情が好みであったと考えられる。
また長いスランプ期や枯渇時代を経て、リュウマチ性関節炎など病によって
劇的なほど様式を変化させたことや、
画家の生涯における貪欲な女性関係も注目すべき点のひとつである。
作品は風景画や家族・親族・自画像・友人・画家・画商・裸婦など身近な人物を始め、
パトロンや芸術愛好家、特定のモデルなど人物画が多いが、
風俗画や神話画、静物画なども手がけており幅広いジャンルを描いている。

1841年、リモージュで仕立て屋を営む労働者階級一家の7人中6番目の子供として生まれる。
1844年にパリへと移り、1854年から四年間、陶器の絵付師として奉公に出て絵の経験を積む。
1860年、模倣画家として認められルーヴル美術館でルーベンス、ブーシェ、フラゴナールなど
宮廷絵画(主に18世紀ロココ様式)の研究と模写をおこなう。
1861年にシャルル・グレールの画塾に登録、翌年には国立美術学校へ入り絵画を学ぶ。
またグレールの画塾ではクロード・モネ、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールら
バティニョール派(後の印象派)と呼ばれる画家たちと知り合い
(モネの友人であったカミーユ・ピサロとも知り合う)共にフォンテーヌブローの森で作品を制作するほか、
数年後に崇拝していた写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベとも出会う。
以後ロマン主義の巨匠ドラクロワの作品の豊かな色彩に影響を受けながら、
サロンに作品を出典しだすも、入選と落選を繰り返す。
1868年、カフェ・ゲルボワで印象派の先駆者エドゥアール・マネやエドガー・ドガと出会う。
1870年普仏戦争(独仏戦争)に召集されるボルドーの第10騎兵部隊に配属。
1874年、第一回印象派展に参加。以後、第二回、第三回には参加するも、第四回と第七回以降は不参加。1880年、光の効果を重んじ形状の正確性を失った純粋な印象主義に疑問を抱き始め、
翌年にイタリアへ旅行しルネサンスの巨匠ラファエロなどの作品に触れるほか、
1884年にはカミーユ・コローの研究のためラ・ロシェーヌへ旅行。
この1880年代は古典主義を探求し作風を変化させる。
また1885年に息子ピエールの誕生し、その5年後の1890年に『田舎のダンス(1883年制作)』の
モデルを務めたアリーヌ・シャリゴと結婚、家庭を築く。
1888年頃にリュウマチ性関節炎や顔面神経痛に襲われる。この病によって
1880年代の古典主義的な表現から、豊満な裸婦画に代表される暖色を用いた
豊潤な晩年期の様式へと再変する。晩年期の1890年代からは体調がさらに悪化し、
1911年には車椅子生活を余儀なくされるも、痛みに耐えながら最後まで精力的に作品制作は続けた。
享年78歳。



時 色 案 内 人 / つ か だ よ し ひ ろ

http://www.ac.auone-net.jp/~tokiiro/

[PR]
by tokiiro201 | 2011-03-07 23:40


暮らしのデザイン室と時色library


by tokiiro201

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

お気に入りブログ

メモ帳

ライフログ

暮し


検索

最新の記事

明日は引っ越し
at 2015-07-11 08:17
7月より
at 2015-07-04 08:24
時色閉店のお知らせ
at 2015-06-22 00:23
時色予約販売
at 2015-06-20 22:17
時色 予約販売 最終週
at 2015-06-18 09:46

ファン

ブログジャンル

画像一覧